1979/08 - 1982/12
45位(同エリア76件中)
アリヤンさん
1978年。
サウナのように蒸し暑く、しかも、砂ぼこりの中に、建設中の商都、ジェッダがあった。
78年以来、93年の15年間のあいだに、100回以上は訪れたサウジ・アラビア、その商都=ジェッダ。
(主にジェッダと首都リヤド訪問だった。時にはダンマン、アルコバール、ホフーフ、ブレイダにも訪問した。)
78年~82年のクウェート駐在時代は、毎月のように、サウジアラビアを訪問していた。
オイル・ダラーに沸きに沸くサウジアラビアは、当時の、日本製品輸出+販売のドル箱であった。
当時、サウジアラビアは通常、商売相手の誰もが、英語などは話さず、ベドウィンなまりのアラビア語しか通じないのが、殆どであった。
ジェッダは、商都ゆえに、若干の商人が英語をしゃべった。
その殆どが、なんと、南イエメン出身者だったのだ。
首都のリヤドに行けば、英語はサッパリ通じず、彼らから、ベドゥインなまりのアラビア語を、必要に迫られて学んだ。
それで、何十かの単語を並べて、いっぱしの会話ができるようになった。
戒律の厳格な、イスラム・スンニー派ゆえの、一日5回のお祈り。
街中のモスクが、一斉に、スピーカであげるアザーン(お祈り呼びかけ)の呼びかけ;
アッラー ホ アクバル、アッラー ホ アクバル。
シャドワンナー・イラー・モハメッド・アルラスル・アラー、ハイヤー、サッラー??♪・・・・
(アラーの神は唯一なり、アラーの神は唯一なり、モハメットは預言者なり、サア、お祈りに行こう!お祈りに行こう!・・・・・)
アザーンを、何千回も耳にすると、自然と覚えてしまうのだ。
昔は、写真撮影さえ禁じられていた。
また当方、カメラの趣味がなかったので、殆ど写真がない。
そう、偶像崇拝禁止のイスラムに感化されたのか?
今にしては惜しかった!
もっといろいろ撮っておけば良かった、と。
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当時のポスト・カードをミックスしていきます。
ジェッダの繁華街、キング・アブドゥラ・ジーズ通りのあるあたりを、海側からみたジェッダです。
中央の高いビルは、確か、ショッピングセンターで、その裏あたりが、昔は城塞に囲まれていた、オールド・ジェッダとなっている。
大都市である。
(ポスト・カード) -
メインストリートのキング・アブドゥラジーズ通り。
写っている車には、日本車が多い。
乗用車では、
トヨタ・クレシーダ(マークII)、クラウン。
ニッサン・セドリック、ローレル。
商用車では
トヨタ・ハイラックス、
ダットサン・トラック(ダットラ)
が多く、日本車率は80%くらいで、年々増加の一途だった。
金持ちは、アメ車やロールスロイスやメルセデスに乗り、
大型トラックはベンツ・トラックが圧倒的に多かった。
(ポスト・カード) -
夜になると、気温も和らぐので、繁華街にはどっと人が出てくる。
ジェッダでは毎日が蒸し暑い猛暑です。
当時、外国人で一番多かったのは、イエメン人、エジプト人、パキスタン人、フィリピン人などだった。
後年、第一回湾岸戦争時(パパ・ブッシュ時代)に、北イエメン政府がパレスチナとイラク側に立ったので、100万人も出稼ぎで来ていたイエメン人が、サウジアラビアから追い出された。(当時は南北イエメンと分かれていた)
その後釜で、フィリピン人、インドネシア人、インド人、バングラデッシュ人が増え、メイドさんやハウス・ボーイとして働いていた。
休みの金曜日になれば、広場には、出稼ぎに来ていたフィリピン人連中やインド人で、広場は一杯になり異様な雰囲気だった。 -
オールド・スーク。(市場)
このアーケードを、ドンドン奥に進んでいくと、昔ながらの雰囲気を保った市場になって行く。
もっと進んで、突き抜けると、メッカ門(バブ・マッカ)に出て、メッカに続くマッカ・ロード(タリク・マッカ)にでる。
(ポスト・カード) -
これは、夜のスーク(市場)入り口付近。
写真に写っているビルには、多くの日本商社や企業が入っており、夜遅くまで明かりが付いていた。
ある日、夜中まで仕事をしていた某商社の人たちは、仕事を終えて下に出たところで警察に捕まった。
サウジアラビア人にとって、あまりにアヤしい行動だったからだ。
夜中まで働く、という行為は、サウジ人には理解不能な行為だったのだ。
(ポスト・カード) -
繁華街の近くから、オールドジェッダが始まる。
こうした、伝統的な建築物が、まだ、少しだけ残っていた。
(ポスト・カード) -
バブ・マッカ(メッカ門)付近の茶店とシシカバブ・レストラン。
繁華街の方から、スーク(バザール)をくぐり抜けると、このバブ・マッカ周辺に出る。
現在のスーク入り口あたりは、高層ビルが建ち、大きなショッピングセンターがいくつもある、大都会となっている(最初のほうの写真参照)。
スークの中は、奥へ行けば、行くほど、昔の風情が今でも味わえるだろう。
写真のような風景は、もう、現在のジェッダのどこにも見られないだろう。
ワタクシが最後に、ジェッダを訪れたのは、2000年ころだが、このような風景は、既に、どこにも無かった。
イエメンかパキスタンかインドや、バングラデッシュの田舎あたりまで行かないと、こうした風景は、もう、見られないであろう。 -
タリーク・マッカ(メッカ通り)の風景。
中央の高架道路が、出来たばかりだった。
砂漠の民にとって、高架道路は初めてで、慣れていなかったせいか?、ある日、大きなベンツ・トラックが、荷物を積んだまま、高架から下に落ちていた。
あまりに速く走れるので、喜び過ぎて、運転を誤ったものと、考えられる。
写真の奥がバブ・マッカ(メッカ門)方面。
この道は、仕事で、毎日のように通った道である。
(ポスト・カード) -
ジェッダのメッカ通り2キロ目
(タリク・マッカ・キロ2)
の商店。
何を売ってるか?
これでは分からないが、工業製品の卸問屋です。
昔は、このようなものでした。
現在では、立派な建物・商店・ビルが立ち並ぶメッカ通りです。 -
アラビア商人。
商人の多くは、南イエメンのハドロモート地方(港町アデンの北東あたり)出身が多い。
あの、アル・カイーダのボス、オーサマ・ビン・ラーデンの一族も、そこの出身である。
彼ら、イエメン人(16世紀ころからサウジアラビアに進出したイエメン人でその末裔たちの商売人たちは現在ではサウジ国籍者となっている)が、サウジアラビアの商経済を、支えている、とも言えるだろう。
(東南アジアの華僑みたいな存在)
当時、イエメン人の出稼ぎ労働者が、100万人以上、サウジアラビアに滞在していて、下働きをやっていた。
こうした強い関係から、サウジはイエメンに経済援助をしていた。
イラクのクウェート侵攻・第一回湾岸戦争時、北イエメン(当時イエメンは南北に分かれていた。北はどちらかといえば自由主義陣営、南は社会主義陣営だった)がイラク支持に回った時点で、100万人ほどの出稼ぎ労働者たちは、サウジから追い出され、以来、イエメンは、ますます困窮する事になった。
商人であるイエメン人たちは、古くからサウジに居住していたし(中世時代から)、裕福でもあったので、イラクのクウェート侵攻事件の直前に、裕福な商人たち皆は、サウジ国籍を取りに走っていた。
出稼ぎ労働者たちは、なすすべもなく、イエメンに放逐されたのだった。 -
モスク。
イスラム教のお寺。
毎日、夜明け前から、夜遅くまで、都合5回、お祈りを呼びかけるアザーンを、スピーカーで流す。
アザーンが始まると、商店は一斉に閉めて、みんな、近くのモスクに、お祈りに行く。
ワレワレ回教徒でない外国人は、道路際に追い出されるのである。
いかに商談中であろうとも。
蒸し暑い、戸外に立って、待つしかない。
昔は、厳しく、宗教警察官たちが、ラクダタタキ棒を振り回し、回教徒なのにモスクに行かない連中を、叩いたりして取り締まっていた。
また、不法労働者への取り締まりも厳しく、時々、「人間狩り」のような摘発をやっていた。
日本人の間で、勝手に「人間狩り」と言っていたのだが、夜など、鉄格子の入ったトラックで警察がやって来て、不法労働者と思しき連中を、鉄格子のトラックに放り込んで、留置所に連れて行った。
外国人は、必ず、パスポートは必携であった。
持っていなくて、捕まった商社員も居たほどだ。
(ポスト・カード) -
1970年代のジェッダ。
真ん中の高いビルは、サウジアラビア航空ビルで、ジェッダで最も高いビルであった。 -
毎年、ハッジ(メッカ巡礼)がある。
ハッジの時期になると、世界中から何百万人というイスラム教徒が、陸海空を通じて、ここジェッダに押し寄せてくる。
ジェッダはメッカへの入り口なのだ。
その時期になると、街はおお賑わいとなり、商活動も活発になった。
しかし、人数がハンパでない為に、市中のホテルは満杯になる。
写真は、ハッジにくる信徒のための宿泊施設。
当時、国際空港はジェッダ市中にあり、この施設が隣接していた。
それで、ハッジ期間中は、この辺りは、異様な雰囲気となる。
ハッジ以外の時期は、この写真のように閑散としている。
*一生に一度、メッカに巡礼に行くと、「ハッジ」という称号が与えられ、その人の名誉が一段と上がる。今でこそ、移動手段の発展によって、簡単に行けるようになったが、昔は、そうは行かなかったので、ハッジには希少価値があったのだろう。
名前の初めに、「ハッジ○○(例:ハッジ・モハメッド)」っと呼べば、イスラム教徒は非常に満足して喜ぶ。
(ポスト・カード) -
メッカにあるカーバ神殿。
この神殿の廻りを、左回りにグルグルまわるのが、作法。
廻った後で、この神殿の足元の一角にある黒い石に、口付けをするのが良いらしい。
(みていると、不衛生、と思うのだが、ムスリムにとっては、非常な栄誉であるらしい)
兎に角、何百万人もの信徒が、一度に訪れるので、時には押すな押すなで、多くの人が圧殺される事件が起こったりする。
ワレワレ、不信人モノには、何とも理解困難な所業ではある。
(ポスト・カード) -
ジェッダは紅海に面する港町。
紅海の下には、それは、美しいアクア・ゾーンがあるらしい。
ダイビング・スポットでもあるらしい。
最近では、サウジアラビアも観光ビザを出したりして、観光客の誘致もやりだしているようだ。
ワタクシは、訪問100回以上。
ちょっと、行き過ぎた。
今でも、もう一度ジェッダに行ってみたい、とは思わない。
(ポスト・カード)
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